旅日記

2015年7月7日(火)長久保→和田へ 14.6km

 上田駅から長久保(長和町)までJRバスで約1時間だが、利用者は2人。これでは完全な赤字路線だ。運転手さんに聞くと町で費用負担をしているという。
 午前10時に長久保からスタート。きょうから2泊3日の予定で塩尻まで歩く予定だが、どんよりとした天気だ。数日前の天気予報では曇りとあったが、いやな予感がする。前回のつづきの長久保宿には旧旅籠辰野屋などがある。ここも1階より2階部分が突き出ている「出梁(だしばり)造り」が目につく。
 しばらく歩くと、小雨が降りはじめてきた。ぬれたマンホールをみると「木曽海道 和田」とある。中山道は木曽街道ともいう。なぜ街道ではなく、山道を「海道」というのだろうか。調べてみないとわからない。道を歩くと町内巡回バスのバス停がとてもユニークだ。茅葺(かやぶき)屋根の立派なバス停がいくつもある。
 路傍で珍しいものを見つけた。しゃれたデザインの「ミミズの碑」。目も足もないミミズは土壌改良にいいといわれている。なぜ「碑」なのか。案内板によると、この地区ではミミズのひもの(はらわたを出して板の上にはりつけた)を解熱剤として煎じて使ったという。その供養塔(?)として建てたのだろうか。
 和田宿への道には、馬頭観音、石仏石塔群が多い。そのなかでもぼくが意識的にいま写真を撮っているのが長野県に多い「双体道祖神」だ。夫婦和合、子宝祈願などがこめられている。やがて和田宿に到着した。和田峠をひかえた和田宿(長和町)は、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒あったが(1843年資料)、文久元年(1861)3月の大火でほとんどが焼失、11月には皇女和宮が通行するので急きょ復興された。
 国史跡の旅籠「かわちや」は、歴史の道資料館になっている。出梁造りで、格子戸のついた大きな旅籠だ。裏には黒曜石資料館がある。この和田峠は黒曜石の産地。わがまち所沢には旧石器時代の「砂川遺跡」がある。ナイフ形石器などが発掘され、黒曜石が使われている。旧石器時代に信州の山奥と武蔵野台地との交易があったかもしれない。
 同じく国史跡の和田宿本陣も見学した。ここも大火で急きょ再建された。当時のカゴなどが展示されているが、居室棟の柱などをみるとヒビが入ったりして、急いで造ったという印象だ。この本陣は、明治維新後は役場や農協事務所として1984年まで使用したという。白壁土蔵の「よろずや」、高札場跡などをすぎると、道は少しずつ坂になっていく。やがて茶屋本陣跡がある唐沢バス停まできた。ここから巡回バスで今夜の宿「民宿みや」近くまで戻ることにした。

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