旅日記

2015年7月20(月)贄川→奈良井→藪原へ 20.5km

 民宿に泊まったので、朝早く奈良井宿(塩尻市)の町並みを見学した。ここは東海道の関宿(亀山市)と同じく国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。そのため新築、増改築、色彩変更など、外観に影響する現状変更には許可が必要だ。
 朝5時半頃の町並みは片側が朝日に照らされている。町屋は間口が狭く、奥行が長い建物が多い。出梁(だしばり)造り、袖壁、格子など独特の建物になっている。現在はみやげもの屋、食堂、民宿などが町並みを形成している。
 さて、電車で戻って、昨日のつづきの贄川駅(塩尻市)からスタート。駅近くに贄川関所が復元されている。当時の関所はいまの位置より西側にあったという。木曽路は尾張藩領で本山宿の松本藩との領界だ。福島関所はあるが、いわば尾張藩の「北番所」だった。
 贄川から木曽十一宿がはじまる。「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」(『夜明け前』島崎藤村、新潮文庫)。贄川から馬籠までの木曽路はどんな道になるのだろうか。
 贄川宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒があった。幕末に建てられた深沢家住宅三棟(国重要文化財)は実にどっしりしている。近くに推定樹齢千年というトチの木(長野県天然記念物)がある。この実はあくぬきして「トチモチ」をつくることで知られている。根もとの周囲は10m以上、コブの上(1m上)では8.6mもあるという。枝張りも樹姿も立派だ。木曽くらしの工芸館に寄った。ここで木曽五木(ひのき、さわら、ねずこ、あすなろ、こうやまき)の「しおり」を買った。美しい木肌といい香りがする。
 大宝2年(702)創建といわれる諏訪神社に参拝した。やがて漆工房と漆器店が多い平沢地区に入ってきた。奈良井川にそって歩くと対岸に一里塚がある。街道の付け替えで残された橋戸一里塚だ。狭い橋を渡ると松林の掃除をしている人がいた。マレットゴルフ場の掃除をしている。マレット(木づち)を使って大きなボールを打つ。ルールはゴルフに準じている。お聞きすると、平沢11区の高齢者は健康のためにこのゴルフを楽しんでいるという。
 やがて江戸より34番目の奈良井宿(塩尻市)に入ってきた。町並みは朝一番で見学したが、鎮神社隣の楢川歴史民俗資料館に立ち寄った。ここには宿場・旅籠関係の資料、民具・生活用具などが展示されている。
 この近くの石段を上っていくと鳥居峠(標高1197m)への旧道だ。どんどん登っていくと石畳、何本かの木橋を渡る。「熊出没注意」の標識もある。「ヨイショ、ヨイショ」と坂を上がっていく。沢の水の流れが聞こえる。向こうから若い外国人2人が下りてきた。聞くと2週間前にオーストラリアから来たという。元気がいいカップルだ。
 鳥居一里塚碑、休憩所がみえてきた。もうすぐ鳥居峠の頂上だ。この峠には何カ所か「熊よけ鐘」がおかれている。下山近くに御嶽神社があり、鳥居前の狭い道をいくと御嶽山(標高3063m)の遥拝所がある。遥拝所は御嶽山まで行けない人のためだろうか。お社の裏にはたくさんの石仏石塔が建てられている。下山の坂はくねくねしながら下りていく。藪原の人家がみえてきた。
 藪原宿(木祖村)は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、人口は1493人(1843年資料)がいた。明治17年(1884)の大火で宿並を焼失している。坂を下る所に「尾州御鷹匠役所跡」の標柱がある。尾張藩が鷹のヒナを捕獲し、飼育調教したという。町並みにでると本陣跡の標柱がある。安政年間の記録によると、古畑本陣は敷地約310坪あった。皇女和宮はこの本陣で宿泊している。
 JR藪原駅には午後4時半頃に到着。奈良井でもう一泊して、明日はここから宮ノ越、福島へむかう予定だ。

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