旅日記

2015年8月4日(火)上松→須原へ 23.7km

 きょうも35℃前後の猛暑日になりそうだ。暑さ対策に水とクールタオルは必需品だ。朝7時に旅館をスタートした。マンホールをみると上松(あげまつ)は「ひのきの里」。
 上松小学校の脇に「尾張藩直轄上松材木役所跡」という案内板がある。解説によると「寛文三年から四年にかけて尾張藩は木曽総山の検見を実施し、その大半がとられ、尽山も多いことに驚き、山村代官から山に関する一切の業務を取り上げ、上松の地に役所を作った」とある。役所は3500坪の陣屋というからかなり大きい。
 のどかな道を歩くと、やがて茶屋本陣を務めた多瀬屋、寛永元年(1624)創業の越前屋(そば)の間を下ると、浦島太郎伝説の臨川寺がある。木曽の山奥に竜宮伝説のひとつ浦島太郎というのは奇異な感じをうける。
 その先に、木曽川の激流で花崗岩の岩盤を浸食してできた「寝覚(ねざめ)の床」は、国の史跡名勝に指定されている。白々した巨岩、奇岩をぬって木曽川が流れている。とても美しい景色だ。この地は浦島太郎伝説の舞台にもなっている。岩上の松の間にある小さな祠は、晩年この地で過ごした浦島太郎をまつる浦島堂だという。浦島太郎伝説は古くから諸説があるが、物語はご存じの通りだ。
 ふたたび中山道にもどり、一軒家の庭先についた。庭には昔使ったという五右衛門風呂の釜がおかれていた。農家の奥さんに声をかけて、冷たい湧水にクールタオルをつけて首にまいた。庭先の中山道をとおっていくと国道19号に合流した。左側に落差15m位の「小野の滝」がある。近づくと、滝の霧が顔にかかってきた。
 今度はJR中央本線をくぐって狭い道にはいった。路傍には石仏石塔群がある。また「木曽古道」の案内もある。中山道はまたもや人家の庭先につながっている。無人なのか人の気配がない。庭先をすぎると、人跡がある草道がつづく。やがて草に覆われてしまった。
 国道を横切ると木曽川にかかる木造のつり橋「諸原橋」があった。つり橋のロープはさびついている。よくみると昭和31年竣工とある。渡ると横揺れがする。最近、高所恐怖症になってしまったのか、つり橋でも怖い。木曽川の水量は少なく大小の石がめだつ。
 JR倉本駅をすぎると中山道は国道にでたりはいったりだ。桃山発電所をすぎて、中央本線をくぐると神明社の大杉の標識がある。訪ねると杉の幹まわりが9m以上はありそうだ。みごとな大杉だ。神社の説明はなく、杉の樹齢もわからない。何キロも歩くと国道で37℃という表示をみた。日陰もなく、「こんな暑い日に歩くなんて!」と自問したくなる。いま午後2時頃だ。やがてまた左の細道にはいる。「水船の里 須原宿」(大桑村)の看板がみえてきた。
 「大桑村歴史民俗資料館」の矢印がある。近くかなと思ったが、橋を渡って500m先にあった。大桑村は人口約4千人。村内には須原宿と野尻宿がある。資料館は広い公園のなかにある。木曽の木をふんだんに使った大きな資料館だ。あの大杉の推定樹齢は500年以上とわかった。資料館には世界の森林地帯、日本、大桑村の森林(木曽五木)とわかりやすく展示されている。山林道具、むかしの生活道具、郷土史などのコーナーがある。じっくりと見学した後、また須原宿にもどった。
 須原宿は正徳5年(1715)木曽川の氾濫で流失して、一段と高いところに移転した。天保14年(1843)の中山道宿村大概帳によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒があった。いまも古い民家が残っている。須原宿の道端には「水船」(主にサワラをきりぬいたもの)がみられる。洗い物などに利用されている。
 近くの定勝寺を訪ねた。この寺は国指定重要文化財で桃山風の豪壮な建築だ。庫裡(くり)から見学したが、大きな空間、大黒柱、味噌炊釜などがある。これだけでも100坪以上はある立派な庫裡だ。それにつながる本堂も大規模な入母屋造りになっている。いずれも築400年以上といわれている。
 境内を見学していると、「南木曽~塩尻間は落雷の影響で運行を見合わせています」という村内放送が聞こえてきた。もう午後5時近い。電車が運行していないと宿に帰れない。JR大桑駅まで何キロもある。予定の18時36分発がないと2時間も待たなければならない。天長院経由の中山道はパスして急いで近道から駅にむかう。幸い電車は時刻表どおり運行開始した。

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