旅日記

2015年6月11日(木)軽井沢→沓掛→追分→小田井へ 16.2km

 朝一番で「軽井沢町歴史民俗資料館」を見学した。この資料館には中山道浅間三宿(軽井沢・沓掛・追分)の資料、別荘と文学活動、高冷地のくらしと民具などを展示している。また隣には市村記念館がある。元首相の近衛文麿の別荘地だったが、のちに市村今朝蔵が購入した洋風建築を見学した。  昨日碓氷峠で聞いたセミのような鳴き声、ここでも聞いたので疑問をぶつけた。記念館の人は身近な鳴き声で最初はわからないとの答えであったが、調べるとどうも「エゾハルゼミ」ではないかとなった。軽井沢の自然に詳しい「ピッキオ」に問い合わせしたら、「エゾハルゼミ」で体長は3~4cm、軽井沢では5月末から7月頃に鳴くセミだとわかった。真夏のわが家(所沢)で聞くセミとはだいぶ違うようだ。  さて軽井沢宿から数キロ先にあるのが沓掛宿。中軽井沢駅近くにあったが、いまは宿の面影はまったくない。たとえば土屋本陣跡は、表札に「本陣・土屋」とあるだけだ。ときどき古い道標、道祖神、供養塔などが路傍にある。静かな道をどんどん歩いていくと、「姫街道入口」の案内板が目についた。説明によると、「女人は厳重に取り締まったので、関所を避けて裏街道を通るようになった。これを女街道、または姫街道ともいう」と。  やがて右側に「追分一里塚」がみえてきた。沓掛宿から5kmぐらいで、もう追分宿だ。旧本陣跡、復元された高札場などがある。ちょっと歩くと連子格子の「桝形茶屋つがるや」の建物がある。二階の漆喰壁に「桝形」「つがるや」の文字が浮き出ている。道はすぐ分岐点になっている。右側は北国街道の更科や越後方面、左は京都、吉野方面へと通じる追分。この「追分の分去(わかさ)れ」には道標、石碑、常夜灯、石仏などがおかれている。  近くの「中山道69次資料館」を見学した。資料館の庭にはミニ中山道(江戸・日本橋~京・三条大橋)が曲がりながらつくられている。それぞれ宿場の特徴を表したミニ中山道だ。2階建ての資料館に入ると、中山道69次が順番に展示されている。資料、写真、小道具、書籍などよくここまで個人で集めたなぁと感心する。お茶をいただいたあとで、各展示室のていねいな説明をうけた。資料館のモットーのひとつに「常に発展する完結のない資料館」とある。館長の心意気を感じるモットーだ。  資料館をあとにして先にすすむ。左側に幅20mぐらいの用水路がみえてきた。「千ケ滝湯川用水温水路」と看板にある。用水温水路とは何だろうか、温泉の水かと思ったがそうではない。浅間山を源に流れてくる融雪水と湧水では冷たく稲作に不向きなため太陽光によって水温を上げる農業用水路だと知った。どうりで水深が浅い。  御代田駅をめざして数キロ歩く。駅近くに御代田一里塚があるはずだ。塚らしいのがみあたらない。歩いている人に聞くと、もう一度戻って、畑のなかにあるという。「道路ではなく畑に?」と思ったが、道から奥へいくと立派な塚があるではないか。ひとつの塚にはしだれ桜の古木が、もう一方は塚だけになっている。長野県の案内板によると、「中山道は慶長7年(1602)に整備され、寛永12年(1635)に改修されるが、本一里塚はその改修以前に構築されたものである」とある。これで畑のなかにあるのが理解できた。  御代田駅前についた。ちょうど午後4時発池袋行きの高速バスが停車している。いいタイミングだ。料金を聞くと鉄道の半額、乗り換えもなく3時間で練馬駅につく。次回はこの御代田駅の中山道から小田井(御代田町)、岩村田(佐久市)などにむけて歩く予定だ。

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