旅日記

2015年6月10日(水)坂本→軽井沢へ 23.5km

 JR横川駅朝9時20分スタート。碓氷関所跡から坂本宿(安中市)へ。薬師坂を上ると小さな白髭神社の前に庚申塔や仲むつまじい双体道祖神があった。すぐに坂本宿の江戸口跡がみえてきた。坂本宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠40軒と碓氷峠をひかえて賑わっていたという。いま宿場の面影はほとんどないが、町並みのなかに「大野屋」「ことぶきや」「叶屋」などの屋号札がかけられている。とくに「かぎや」の建物は、当時の面影を残している。  坂本宿をすぎると、やがて細い林道に入る。「日本の道百選・旧中山道」の標柱がみえてきた。いよいよ標高千メートルの碓氷峠を越えて軽井沢をめざすことになる。杉木立の狭い道を上っていく。「柱状節理」というマグマが冷却して、自然に四角、六角の柱状に割れた岩肌がみえてきた。ぼくが感動したのは、大きな石のすきまから根がしっかりと根付いている大木だ。岩をものともせずぐんぐん伸びる木に乾杯したい気持ちになる。  坂本宿が望める高さに登ってきた。ここで小林一茶は「坂本や袂の下の夕ひばり」と詠んだという。標高800m近くに「四軒茶屋跡」(力餅、わらび餅が名物)があった。いまでも石垣が残っている。さらに歩くと現代の「峠の小屋」(東屋)がみえてきた。ここで持参のおにぎりで昼食休憩。いままで人に出会ったのは二人だけ。一人は峠の入口で、もう一人は急ぎ足の若者だった。  どんどん尾根道を歩いていく。暑くもなく寒くもなく、とてもさわやかな日だ。狭い道の脇にときどき馬頭観音がある。やがて「山中茶屋」の案内板が目についた。峠のまんなかにある茶屋で、寛文2年(1662)には13軒の立場茶屋があったという。子持山(標高1100m)あたりの「陣場が原追分」で道は和宮道と旧中山道にわかれる。和宮道は文久元年(1861)の和宮降嫁のさいにつくられた道だ。旧道にむかって歩く。  この間ずっと山全体に「ジージー」とセミのような鳴き声が気になっていた。まだ6月初旬なのにセミの声、あれは一体何だろうか? 「ヨイショ、ヨイショ」と自分にいいきかせて坂を上る。水の音が聞こえてきた。小さな沢を渡り熊笹の道を上る。もうすぐ熊野神社があるはずだ。ところが逆の方向(左)へ約1キロまちがって歩いてしまった。元の長坂頂上の出口に戻ることにした。  やっと熊野神社に到着した。もう午後3時50分になっている。冬の東海道歩きとちがって陽はまだ高い。熊野神社は碓氷峠の頂上に位置し、群馬県と長野県の県境にある。由緒ある熊野神社に参拝し、ふたたび軽井沢へ歩きはじめた。  避暑地として知られる軽井沢にはたくさんの別荘がある。軽井沢で最初の別荘を建てたのがカナダ生まれの宣教師アレキサンダー・ショウ。明治21年(1888)の建築で、外観は日本の民家風、内部は洋風になっている。いまショウハウス記念館として自由に見学ができる。  この付近は軽井沢宿があった所だが、天明7年(1787)の浅間山大噴火で宿は壊滅的な被害をこうむっている。「天保14年の資料」によると、宿は本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠21軒あったが、いまはしゃれたお店が並んでいる。あすは沓掛宿を歩くことになる。

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