旅日記

2015年7月19日(日)塩尻→洗馬→本山→贄川へ 21.3km

 塩尻駅を9時半スタート。まずは両塚がある59番目の平出一里塚をめざして歩いた。現存する両塚で原形をとどめている一里塚は東海道では5~6カ所しかない。中山道ではすでに御代田一里塚(畑の中)と唐沢一里塚(山の中)も見学したが、どちらも道の付け替えで両塚が残ったものだ。両塚がいまも残るのは珍しい。
 一里塚近くに平出遺跡(国史跡)があるのでちょっと寄ってみた。この遺跡は縄文時代から平安時代にかけての大集落跡だ。発掘調査で、縄文時代中期116、古墳時代から平安時代165の竪穴住居跡と掘立柱建物跡7が発見された。この遺跡には、縄文、古墳、平安時代の集落が復元されている。
 縄文時代の竪穴住居と平安時代の竪穴住居はさほど差がないつくりになっている。縄文時代から平安時代の時の流れは4~5千年。この間の集落跡は竪穴住居のつくりが多い。地面を掘り下げた半地下式の住居で、その上を茅葺屋根で覆っている。平安時代前半まで多くの庶民は竪穴住居に住んでいた。
 洗馬(せば)への道の両側はぶどう畑がつづいている。何キロも歩くと洗馬についた。わかれ道標には「右中山道 左北国往還善光寺」とある。洗馬宿(塩尻市)は慶長19年(1614)の開宿後は6回もの大火が発生し、昭和7年(1932)の大火で約7割が焼失したという。そのため宿場のふんいきは残っていない。小雨が降ってきた。
 やがて本山宿(塩尻市)に近づいた。「そば切り発祥の地」の看板がある。江戸時代の文献にも「そば切り」が紹介されている。本山宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠34軒(1843年資料)があった。宿場内の旧旅籠川口屋、池田屋、若松屋の建物は国の登録有形文化財になっている。この旅籠は明治2年(1869)の大火直後の再建といわれ、間口は五間から七間の上級旅籠で、道筋にそって「はすかい」に建てられている。また本山宿には松本藩によって「口留番所跡」(藩の境界に設けた見張所)が幕末までおかれていた。
 奈良井川にそって歩くと「これより南 木曽路」の石碑がある。ここは松本藩と尾張藩の境になっていた。桜沢旧道をすぎると茶屋本陣跡がある。この茶屋本陣には明治天皇小休所碑がある。やがて若神子一里塚の碑、石仏石塔群などをみて、JR贄川(にえかわ)から今晩の宿・奈良井にむかう。

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