旅日記

2015年8月5日(水)須原→野尻→三留野へ 17.5km

 大桑駅朝8時10分スタート。国道沿いの「道の駅」で食料を買おうとしたが、まだ営業していない。国道を離れて右の下り坂にはいる。中央本線にそって静かな道をひたすら歩く。野尻宿(大桑村)の東のはずれについた。江戸から40番目の野尻宿の道はくねくねして「七曲り」といわれた。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒(1843年資料)あったが、明治、昭和の大火で宿並の面影はほとんどない。  「マリア観音」があるという妙覚寺を訪ねた。古い山門をくぐると大きなマキの木がある。マリア観音はどこかと探したがわからない。墓地にいた石屋さんに聞くと、「これですね」と指をさした。手をあわせている観音像だが、よくみると左手の上に十字架が彫られている。天保3年(1832)につくられた。元は野尻川沿いにあったという。  さらに寄り道して須佐男神社に参拝した。古い神社だが。300年余前に長雨で蛇ぬけ(土石流)があり、社殿を流失してしまった歴史がある。村の厄病除け、豊作の神として信仰されてきたという。  ふたたび猛暑のなかをひたすら歩く。右側の木曽川が湖のようになっている。しばらくいくと、関西電力の読書(よみかき)ダムの取水口がみえてきた。このダムの発電出力は約12万kwという。熊野神社近くにくると牛舎から牛の鳴き声が聞こえてきた。なんと神社には牛方が奉納した「牛の絵馬」があった。  狭い水路トンネルの仮設歩道を渡ると木曽川がふたたびみえてきた。柿其橋についた。このあたりは「南寝覚」といわれ、木曽川の白い巨岩、奇岩があり風光明媚な地だ。やがて国道に合流した。木曽川をながめながら、もくもくと何キロも歩く。歩道の柵下は急直下の崖になっている。身をのりだすと怖い。このあたりは「難所羅天」といわれた場所だ。  やがて左の静かな県道に入った。標識には「南木曽町金知屋」とある。三留野宿(みどの)についた。この宿場もたびたび火災にあっている。宿場は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒、宿内人口は594人いた(1843年資料)。本陣や脇本陣などは明治14年(1881)の大火で焼失してしまった。いまは静かな町並みだ。  午後2時半にJR南木曽(なぎそ)駅に着いた。少し早いが、塩尻経由で帰宅する。ちなみに現在の南木曽町には三留野宿と妻籠宿がある。人口は約4600人、面積は216k㎡(所沢市の3倍)。次回は妻籠(つまご)、馬籠(まごめ)、中津川などを歩く予定だ。

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