2015年8月11日(火)三留野→妻籠へ 7.4km
自宅から塩尻経由で南木曽駅まで約5時間、12時半に到着。塩尻からは各駅停車で二両編成のワンマンカー。この間に持参したおにぎりを食べようとしたが、車内は混雑していた。遠慮して駅構内で昼食、午後1時スタートした。
ここから妻籠宿まで約4キロ、この時刻でどこまで歩けるか心配だ。木曽義仲ゆかりの「かぶと観音」(平家打倒にむけて木曽谷に祠を建てた)を見学。山道を歩いていくと、「上久保一里塚」がみえてきた。珍しく両塚が残っている。近くに古い水車小屋がある。お盆休みなのか、男性が窓ガラスを掃除している。お聞きすると、水車小屋は30数年前まで使用していたという。
さらにすすむと「妻籠城址」(県史跡)の案内板があった。妻籠城は典型的な山城だ。ちょっと寄り道して上ってみた。敵から城を守る堀切、本丸の周囲にめぐらした防御陣地の帯郭などがある。ハァ、ハァしながらくねくねした山道を上る。本丸からみるながめはすばらしい。木曽義昌の妻籠城は、天正12年(1584)に徳川勢を退けているが、元和2年(1616)に廃城となった。
やがて妻籠宿の家並みが眼前にみえてきた。ここの住民は昭和40年代から「町並みは文化財だ」と動きだした。そして昭和51年(1976)「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。妻籠宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒(1843年資料)があった。この妻籠は外国人観光客が実に多い。ぼくが会った人には、スペイン人、イタリア人、フランス人などがいた。
妻籠を知るために南木曽町博物館を訪ねた。そのひとつが脇本陣奥谷。総ヒノキ造りの建物は明治10年(1877)に建てられている。その隣には歴史資料館がある。妻籠の歴史や妻籠宿の保存のあゆみなどが紹介されている。さらに本陣跡にも寄ってみた。この本陣は明治になってから取り壊されたが、江戸時代後期の間取り図を忠実に復元している。台所や囲炉裏、上段の間もみられる。江戸時代の面影を残している町並みをふたたび歩きはじめた。
すでに午後4時半をすぎた。馬籠(まごめ)までの道のりはまだまだある。馬籠行のバスに間に合うかどうかあやしい。宿は中津川駅前に予約してある。残念、最終便のバスは出たばかりだった。南木曽駅に戻るか、思案に暮れた。そのとき、目の前にワゴン車が止まった。運転手さんに相談すると、「これから中津川に帰りますから、どうぞ」といわれた。助かった!
中津川駅近くまで十数キロある。かりに馬籠まで歩いても中津川駅までのバスはもうない。仕事中にもかかわらず見知らぬ旅人を乗せてくれた運転手さんに感謝した。あすはきょう歩いたバス停橋場(田島橋)からスタートすることになる。そういえば東海道を歩いたとき夕闇の石薬師(鈴鹿市)近くで道に迷い、駅まで送っていただいたことがある。
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