旅日記

2015年8月13日(木)中津川→大井へ 16.3km

 朝から小雨が降っている。午前7時に宿を出発した。雨のなかを歩くのはとても難儀だ。目の前に元禄年間創業の栗きんとんの老舗「すや」がある。
 本陣跡、脇本陣跡、庄屋跡などが連なっている。中津川宿は東濃の中心地として賑わった。とくに本陣の入口には五軒の長屋が建ち、その中央の一軒分が門となっていた。その奥に建坪283坪の本陣があったという。このあたりは宿場のふんいきがいまも残っている。直角に曲がる枡形の通りを歩くと、天満屋(古井家)、十八屋(水戸天狗党の負傷者をかくまう)、白木屋(横井家)、「恵那山」の蔵元など幕末の古い建物がある。
 中津川を渡り、古代の東山道の坂本駅碑近くに上宿一里塚がある。その隣に石仏石塔群がある。そのなかに双頭一身道祖神があった。頭は二つで体は一つの珍しい道祖神だ。ここからふたたびひたすら何キロも歩く。
 民家の塀の角地に「六地蔵石幢(せきどう)」があった。石灯籠に似ているが、よくみると上部の六面に六地蔵が彫られている。お寺でよく六地蔵が並んでいるのをみかけるが、このような形の六地蔵ははじめてみた。
 何カ所かの石仏石塔群をみながら静かな町並みを歩く。中津川宿と大井宿との中間にある茄子川には高札場跡、木曽木材を監視した白木改番所跡、篠原家茶屋本陣跡(皇女和宮や明治天皇が小休止した建物が現存)などがある。やがて道は恵那市に入ってきた。マンホールをみると「中山道大井宿」と刻印されている。
 甚平坂を上ると休憩所がある。高台の小さな公園には、歌川広重の絵「大井」の石彫がある。ここからみた風景とみられている。大井宿(恵那市)まであとわずかだ。近くに源頼朝の御家人・根津甚平の墳墓がある。急な階段を上ると、高さ2m余の花崗岩でつくられた塔があった。これは鎌倉時代のものと推定されている。
 恵那峡橋近くに「中山道大井宿旅人の墓」の案内がある。ぼくも中山道の旅人だ。大いに関係がある。たくさんの墓石がある。案内板によると「この墓には、北は秋田県、南は鹿児島県までの広い地域の人々が旅の途中に大井宿で亡くなった方が埋葬されている。ここには六十余基の墓がある。主に男性(内武士五人)で、女性は四人」とある。旅人の墓は近くの長国寺が守ってきた。以前、東海道で飯盛女の墓をみたが、旅人の墓ははじめてだ。元禄時代から明治までの墓石が読めた。
 寺坂を下ると「山本用水」(江戸時代の灌漑用水)があった。大井宿は多くの街道が交差するところで、美濃16宿のなかで最もにぎわったという。大井宿は江戸から46番目の宿場。6カ所の枡形があるが、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒(1843年資料)があった。本陣の門は安土桃山様式の門で屋根はそりをもっている。
 大井村庄屋古山家(ひし屋資料館)を見学した。古山家は享保年間から幕末まで150年間、大井村の庄屋を務めた旧家。いまの建物は明治初年に上宿から移築した。なかに入ると広い部屋がいくつもあり、江戸時代のふんいきを残している。
 明治天皇が泊まった岩井家(旧伊藤家)も見学した。この建物は大旅籠兼商売屋であった。戦後、郵便局などに改変されたが、明治天皇が泊まられた当時の状態に復元され、いま地域に開かれた資料館としてボランティアの人たちが運営している。わがまちの所沢銀座通りの明治天皇行在所(斎藤家)で「まちぞう」が活動しているのと似ている。
 次回はJR恵那駅前から瑞浪市(みずなみ)の大湫(おおくて)宿、細久手宿などを歩く予定だ。

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