旅日記

2015年9月15日(火)鵜沼→加納へ 19.2km

 朝10時、各務原駅前をスタート。きょうから3泊4日の予定だ。車の通行量が多い国道21号をしばらく歩くことになる。途中、神明社に寄って今回の旅の安全を祈願した。やがて右側に川崎重工業の広大な敷地がみえてきた。
 国道を離れて各務原(かかみがはら)市街地を歩く。江戸から103里目の六軒一里塚跡の標柱がある。このあたりが六軒茶屋の立場があった所だ。左側は航空自衛隊岐阜基地がある。この基地は大正6年(1917)陸軍飛行場として開設されている。明治44年(1911)開設された所沢飛行場につぐ古い歴史がある。
 各務原市役所となりに市民公園(旧岐阜大跡地)がある。この公園で休憩して、高齢の車いすの女性としばらく雑談。すると何機もの戦闘機が爆音をひびかせて飛び立っていく。「いつもこんなに多いのですか?」「そう、電話も聞こえないわ」。
 さらに数キロ歩いて右側の日吉神社に寄ってみた。拝殿前に大きなガマガエル2体が奉納されている。これは珍しい。この神社には樹齢数百年のヒノキ・杉が林立していたが、伊勢湾台風(1959年9月)で倒木した。また「ひょうたん池」には多数のカエルが生息していたという。このあたりは、「間の宿・新加納」といわれる。東の鵜沼宿と西の加納宿の距離が17キロと長いため立場(休憩所)が設けられていた。
 浄慶寺をすぎると、「切通陣屋跡碑」がある。加納藩主の安藤信成が「陸奥」に移封後も美濃切通村に領地を有していた。いわゆる飛び地の領地だ。案内板によると「美濃領支配のため陣屋を設け、郡奉行2人、代官4人、与力5人、同心5人など22人が詰めていた」という。
 やがて復元された105里目の細畑一里塚がある。すぐに加納宿(岐阜市)の碑がみえてきた。加納宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒、宿内人口は2728人(1843年資料)がいて、美濃16宿では最大の宿場であった。
 江戸時代の相撲力士・鏡岩の「ぶたれ坊の碑」、道標「東海道いせ路」をみながら、道は枡形になる。このあたりはなぜか秋葉神社がいくつもある。加納宿東番所をすぎると、岐阜へ出入りする商人や農民の荷物運搬を引き受ける「岐阜問屋跡」がある。ここでは岐阜名産品の「アユずし」の継ぎ立てもしていたという。
 近くの歩道橋に「加納城大手門跡」の碑がある。「500m直進」とあるので訪ねてみた。岐阜市の金華山(稲葉山)には岐阜城跡がある。だが関ケ原の戦いで西軍についた岐阜城(藩主・織田秀信)は徳川家康によって廃城にされ、南部の加納に城がつくられた。加納城はいま公園になって、本丸の石垣と土塁などが残る程度だ。すでに夕方になり、加納宿の脇本陣碑などを確かめて岐阜駅近くの宿にむかった。

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