旅日記

2015年9月16日(水)加納→河渡→美江寺→赤坂へ 24.5km

 朝7時20分、岐阜駅前からスタート。加納宿は宿場の面影はほとんどない。5キロ以上歩くと、長良川がみえてきた。長い河渡橋(ごうど)を渡る。昔は渡し舟で「河渡の渡し」があった。馬頭観音堂の隣には「中山道河渡宿」の大きなモニュメントがある。河渡宿は川留め以外通過の旅人が多かったという。
 土手下道から中山道への道がわかりづらい。ご近所の人に「河渡一里塚」まで案内していただいた。静かな町並みを通り、小さな川を渡ると、もう瑞穂市。文化6年(1809)の本田地蔵堂(延命地蔵)の石仏座像の優雅な面相が印象的だ。近くには幕府直轄地の本田代官所跡(陣屋)がある。
 五六橋をすぎると、美江寺宿だ。河渡宿からわずか4.5kmしかない。ここも河渡宿と同じく小宿だ。美江寺一里塚跡、濃尾地震(1891年10月)で宿内唯一残った商家(酒屋)、美江神社には復元された高札場がある。本陣跡の碑などはあるが宿場の面影はほとんどない。町並みをすぎると水田などがある地区へ。JA巣南前の用水路とガードレールに挟まれて大垣藩傍示石「従是西大垣領」がある。これは注意しないと見逃してしまう。
 やがて揖斐川(いび)の鷺田橋を渡る。「呂久の渡し」の船年寄りを務めた(往時揖斐川は呂久川と呼ばれた)馬渕家長屋門がみえてきた。呂久川の川幅は平水で90m、大水では倍になったという。呂久の渡し場は大正14年(1925)に歴史の幕を閉じている。近くの公園には皇女和宮の歌碑がある。
 平野井川にそって歩くと追分道標がある。数キロ先には「中仙道七回り半」という道標がある。これは京にむかって七つの曲がりとわずかな曲がりがひとつある、とのこと。確かに道はくねくねしている。雨もあり東赤坂駅前のカフェで一休み。お店にはH大垣市議会議員の「議会報告」などがおいてある。お聞きすると、マスターの息子さんとのことだ。
 江戸から110里目の池尻一里塚跡を越えると、「御使者場跡」がある。これは赤坂宿(東口)で、参勤交代の大名や公家の通行の際に宿役人が送迎をした場所だ。赤坂宿という名は東海道(愛知県豊川市赤坂)にもある。ここ赤坂宿(大垣市)は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠17軒、宿内人口は1129人(1843年資料)がいた。杭瀬川には赤坂湊があり船運が盛んだったという。
 赤坂宿の本陣はいま公園になっている。また四ツ辻周辺には、道標、矢橋家住宅、脇本陣住宅などがある。「お嫁入り普請探訪館」という家もある。これは和宮降嫁の際、見栄えをよくするため表側を二階建てにしたという建物だ。赤坂宿の東口同様に京口に「御使者場跡」がある。あすはこのあたりから歩くことになる。JR赤坂駅から岐阜駅近くの宿へむかう。

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