旅日記

2015年6月1日(月)安中→松井田→坂本へ 18.5km

 きょうは八高線を利用して高崎から磯部駅に朝9時到着。中山道に入り松井田宿へ歩く。この街道には道祖神や馬頭観音がよく目につく。平安時代末創建の自性寺に寄ってみた。門前には前回にもふれた夫婦和合の道祖神が2体ある。境内には室町時代の2基の「ほうきょう印塔」がある。ぼくにはこの印塔はどんな意味があるかはわからない。  やがて文化5年(1808)に建てられた妙義道常夜灯(台石には是より妙義道とある)が国道18号の分岐点にあった。県道から山道の中山道を歩くと苔むした石仏石塔群にぶつかった。またこのあたりから群馬県を代表する妙義山が左前方にみえてきた。奇岩の多い妙義山は標高1100mぐらいだ。  松井田(安中市)の町に入ってきた。江戸から16番目の松井田宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠14軒、宿の長さは660mという小さな宿場だった。残念ながら本陣跡などの案内板や碑をみかけなかった。  鎌倉時代に開山した不動寺を訪ねた。江戸時代初期の改築といわれる仁王門には一対の仁王さんがにらみをきかせている。仁王門手前には3基の異形板碑の石塔婆が並んでいる。安山岩の自然石に観応3年(1352)の北朝年号が刻まれている。どちらも群馬県指定の重要文化財だ。同じく県指定の松井田八幡宮にも寄った。鳥居前には寛政時代の大きな庚申塔などが立ち並んでいた。  さらに歩いていくと五料の茶屋本陣(お西・お東)の案内板がみえてきた。五料地区は松井田宿と坂本宿の中間で大名や公家などの休憩所になっていた。復元され一般公開されているが、残念ながら月曜休館日で外から建物をながめるしかない。茶屋本陣になっていた中島家は代々名主を務めていて、天保7年(1836)から明治5年(1872)までは1年交代で名主を務めていたという。  横川への道には馬頭観音、二十三夜塔、道祖神などが多い。やがてJR横川駅に近づいてきた。武井茶屋本陣跡があるので訪ねてみた。いまも生活の場になっている。おじゃまして家のなかに入る。200年以上は経っているという大黒柱は太くて立派だ。居宅と本陣との境は三尺の畳敷きの廊下でくぎられ、別玄関になっている。居宅部分は2階がある。2階は養蚕に使用していたという。懐かしいカマドもある。  少し離れたところに碓氷関所跡がある。横川の地に関所ができたのは元和9年(1623)だという。跡には関所の東門がある。「エッ、これだけ」という印象だ。東海道の復元された箱根関所、また唯一現存の新居関所と比較するともの足りない。とはいえ、関所では「入り鉄砲に出女」をきびしく取り締まって通行人を監視していた。明治2年(1869)になると廃関されている。次回は坂本宿から碓氷峠を越えて信濃の軽井沢宿を歩くことになる。

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