2015年9月28日(月)醒井→番場→鳥居本→高宮へ 18.7km
きょうから2泊3日の予定で醒井から守山まで歩く予定だ。前回の醒井宿(米原市)のつづきからスタート。100年前の旧醒井郵便局の2階建て建物(国登録文化財)を横目にして、中山道に入る。街道を歩くと伝説の碑、跡地がある。たとえば「西行水・泡子塚」。西行法師がこの地で休憩した茶店の娘が西行に恋をして、西行の飲み残しの茶の泡を飲むと男子を出産、云々の話がある。疑えばきりがないが、何かを示唆しているかもしれない。
丹生川橋のたもとに「壬申の乱横河古戦場跡」の案内板がある。「天智天皇の死後、長子の大友皇子を擁する近江朝廷に対し、弟の大海人皇子が、皇位の継承をめぐり、壬申の乱(672年)を起こした。7月7日、激戦の末、大友皇子軍が敗れた古戦場跡」という。関ケ原でも両軍の戦い跡があった。弟は後の天武天皇(第40代)になる。
醒井から番場(米原市)までは一里しかない。このあたりもベンガラ塗りの家が多い。また路傍にはいくつも地蔵堂がある。すぐに番場についた。問屋場跡、脇本陣跡などの標柱がある。道路ぞいの家々に色彩豊かな旗が掲げられている。「どこの国の国旗だろうか? 派手な色だ」と思ったが、よくみると小さく「蓮華寺」とある。初めてみる仏旗だ。「南北朝の古戦場・蓮華寺」の看板がみえてきた。
蓮華寺には「史跡・北条仲時公従士430余名の墓」がある。元弘3年(1333)5月、京都の合戦に敗れた仲時は南朝軍の包囲に会い、本堂前庭で仲時以下430余名が自刃(じじん)したという。住職さんに本堂などを案内していただいた。「たくさん自害していますが、証拠は?」と聞いたところ、本堂宝物室にある過去帳(国重要文化財)をさして「これです」(展示はレプリカ)と。姓名や年齢まで記された過去帳だ。なお、このお寺さんには、劇作家・長谷川伸の「瞼の母」にでてくる番場の忠太郎地蔵がある。
番場宿をすぎると小高い山がみえる。坂道を上ると摺針峠がある。中山道にはたくさんの峠があったが、まだあるとは思いもしなかった。峠には旅人の喉をうるおした「泰平水」がある。かつて茶屋があった「望湖堂跡」からは絶景が楽しめる。ここから坂を下る道は草道だ。小さな丸木橋を渡ると、「おいでやす彦根市へ」のモニュメントがみえてきた。石柱の上には、近江商人、旅人、虚無僧の3像がある。
番場から一里ちょっとで江戸から63番目の鳥居本(とりいもと・彦根市)についた。万治元年(1658)創業の「赤玉神教丸有川家」は、和漢胃薬を製造し、いまでも営業している。お店のなかに入ってみた。16代目という女性に「食べ過ぎ、飲み過ぎ」用の試供品をいただいて、お店の説明をうけた。歴史を感じる建物内には「神教丸」の旧看板などが展示されている。
また鳥居本には合羽(かっぱ)所が多くあった。雨の多い木曽路にむかう旅人が雨具を買い求めたという。鳥居本宿は彦根道との分岐点があり、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒、宿内人口は1448人(1843年資料)いたのでかなり賑わっていたといえる。
旧小野村(小野小町の出生地といわれるが、全国にある)をすぎると、多賀大社常夜灯がみえてきた。もう夕方6時だ。高宮駅近くの宿にむかう。
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