旅日記

2015年5月14日(木)鴻巣→熊谷へ 22.8km

 きょうも下山口駅始発5時46分にのって鴻巣駅に到着した。鴻巣駅から「暑い熊谷」にむけて歩きはじめた。日中の気温は31℃を越えるという。暑さで足が重くなりそうだ。  駅前には「世界一四尺玉煙火筒」のモニュメントが目につく。  法要寺は加賀前田家と同じ紋をしている。これは慶安(1648~1652)の頃、法要寺が前田家の参勤交代の宿所として、加賀藩の梅鉢紋が寺紋として許されたことに由来している。この近くには中山道をはさんでたくさんの寺・神社がみられる。新しい中山道道標には「京三条大橋へ123里6町(約486キロ)/ 熊谷宿へ3里32町(約15キロ)」とある。  このあたりから中山道は数キロ、見るもの少なく、ただひたすら歩くのみである。やがて右側の江原家(旧名主)の庭に自分の領域を示す「従是西忍領」(1780年)の杭の案内板がみえた。関東は幕府直轄地や旗本領寺地がいりくんで境界争いが絶えなかったという。ここもそのひとつであろう。  やがて吹上駅近くにやってきた。江戸方面から踏切を渡り斜め左に入る所を、富士電器の工場にはさまれた道路を歩いてしまった。「中山道・間の宿碑」がみあたらない。JR高崎線の跨線橋を渡ってやっとみつけた。一度あることは二度ある。今度は荒川堤を逆の方向に歩いてしまった。すぐ気づき戻り、元荒川の小さな流れがみえた。この元荒川は江戸の初めに荒川が入間川に付け替えられるまで荒川の本流だった。  荒川の広い堤を歩いていくと、1947年9月のカスリーン台風で、堤防が決壊した碑がある。荒川の土手を歩いていても、川幅が広く川の流れがみえない。マンション前の土手には「馬頭観音」「久下の一里塚跡」がある。また東京湾まで72.0kmの表示がある。きょうの熊谷は31.6℃になった。重機による土手の草刈りで草の匂いがいつまでも残っている。  やがてひさしぶりに国道17号にぶつかった。熊谷駅まであとわずかだ。駅北口には、馬に乗るりりしい熊谷直実像(12世紀の武将)がみえてきた。暑い熊谷から深谷、本庄にむけて次回はさらに歩くことになる。

写真

地図・経路

エリア選択




TOP