2015年8月29日(土)御嶽→伏見→太田へ 22.5km
午前8時半、御嵩駅からスタート。「鬼の首塚」(鎌倉時代に鬼の首を切って、京へ首桶で運ぼうとしたが重くて動かずという伝説)をへて、可児川沿いにある顔度(ごうど)城址へ。室町時代(応仁の乱)の平城跡を見学した。
しばらく歩くと50番目の伏見宿(御嵩町)についた。ここは木曽川の「渡し」が、川留めになると旅人であふれたという。宿場は御嶽宿と規模はほぼ同じだ。中山道からちょっと離れて、洞興寺の史跡「女郎塚」を訪ねた。太田宿には飯盛女がいたので、その塚だ。数えてみると60体近い供養塔がある。東海道の永勝寺(藤沢宿)と似ている。「お休み処らくだ」でお茶菓子をいただく。ここでお土産にかわいい「ゆらゆら雛」を買った。
国道に合流して次の太田宿(美濃加茂市)へ何キロもひたすら歩く。ついに木曽川の太田橋の手前についた。橋の手前に「今渡の渡し場跡」(可児市)があるはずだ。入口がわからない。ご近所の人にお聞きすると、入口は車に隠れていた。対岸には太田の渡し場があった。木曽川が増水すると「船止め」となる。昭和2年に太田橋が完成し、渡し場は廃止された。
雨がつづき木曽川は増水して流れが速い。鵜(う)が魚とっていた。橋を渡り、「太田の渡し場跡」へと歩く。「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と、中山道の難所のひとつに詠われた。ここ美濃加茂市はブラジルから働きにきている人たちが多い。土手にポルトガル語が最初に、次に日本語で「公園の注意」が書かれていた。
木曽川沿いに歩くと、もう太田宿(美濃加茂市)の町並みへ。稲荷神社、そして吉田家住宅(旧旅籠小松屋)が目につく。この小松屋は町屋建築の伝統的技法で、太田宿の町屋で最も整った外観を示している。向かい側には100年前のモダンな十六銀行の支店跡がある。太田宿はいまも宿場のふんいきを残している。
旧脇本陣の林家住宅(国の重要文化財)は、「うだつ」がひときわめだつ建物だ。「うだつ」は防火壁の役目と脇本陣の権威を象徴するという。広い隠居部屋は公開されているので見学した。近くの本陣跡は門が残されているだけだ。尾張藩太田代官所跡をとおりすぎて、道は木曽川の土手を歩き、やがて国道21号に合流する。さらに左折すると、木曽川の土手は「ロマンチック街道」と命名されている。木曽川を横目でながめながら歩く。午後6時頃、近くのJR坂祝駅(さかほぎ)から美濃太田駅前のホテルへ。あすの天気は雨予報だ。
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