旅の写真

1日目2015年5月5日(火)日本橋→蕨へ 28.6 km

日本橋のど真ん中にある日本国道路元標

静かな連休中の日本橋三越前

江戸末期創業の神田明神前の天野屋

旧加賀藩上屋敷(東大赤門)前で記念写真

鈴ヶ森刑場で火あぶりになったお七の墓「お七の墓」が印象的でした。

明治30年代、巣鴨に住んでいた徳川慶喜

江戸六地蔵のひとつ真性寺の地蔵

にぎわう巣鴨地蔵通り商店街

国史跡の志村一里塚。都内では珍しい

荒川は架橋禁止。戸田の渡しがあった


2日目2015年5月6日(水)蕨→浦和→大宮へ 23.7 km

目に味噌をぬって願かける目やみ地蔵

三学院の地蔵堂にある六地蔵

災害でのどをうるおした「お助け井戸」

月信仰に結びつく調(つき)神社のウサギ「調神社のウサギ」

街路になびく「サッカーのまち浦和」の旗

三猿もある青面金剛庚申塔(成徳4年)

新都心の歩道に残された火の玉不動尊

2キロもつづく大宮・氷川神社の参道

レストランの看板下にある小さな道標

わかりやすい「道しるべ」の解説


3日目2015年5月13日(水)大宮→上尾→桶川→鴻巣へ 22.5 km

元禄3年建立の青面金剛像の庚申塔

遍照院のピラミッドのような無縁塔

天保時代の木造三階建ての土蔵

国登録の島村家住宅土蔵の案内板

桶川宿の中山道宿場館でひと休み

女郎買い地蔵(左)の背中にあるかすがい「女郎買い地蔵」

江戸時代から盛んな鴻巣のひな人形作り

お店に飾ってある昭和初期のひな人形

徳川家康が鷹狩で訪ねた勝願寺の仁王門

勝願寺境内にあった円筒の無縁塔


4日目2015年5月14日(木)鴻巣→熊谷へ 22.8 km

鴻巣駅前の四尺玉花火のモニュメント

中山道鴻巣宿の歴史を描く大看板

江原家にある忍藩の高さ2mの領界石「忍藩の領界石」

現代版中山道の道標。熊谷宿まで約10km

道に迷いやっと着いた吹上「間の宿」碑前

広い荒川土手で、また逆方向へ歩く‥‥

荒川決壊の碑脇の荒川水害の解説

荒川土手でみた天保12年建立の馬頭観音

熊谷駅北口の武将・熊谷直実のブロンズ像


5日目2015年5月21日(木)熊谷→深谷へ 27.5 km

敗戦前夜の大空襲で焼失した熊谷はいま

高城神社内の天保12年建立の青銅製常夜灯

暑いまちのデパート前に設置された温度計

新島一里塚の樹齢300年以上の大ケヤキ

熊野大神社(深谷)の本殿屋根

一夜の女と別れを惜しんだ松(二代目)の場所

深谷宿の江戸口にある高い常夜灯

酒造跡を活用した「お茶々」で休憩

深谷周辺でよくみかけた「二十二夜塔」

鎌倉時代の岡部六弥太などの五輪塔「六弥太の五輪塔」


6日目2015年5月22日(金)深谷→本庄→新町 21.7 km

全昌寺に移築された岡部藩陣屋長屋門

幕末の騒然とした時代に建立した百庚申群

車が多い本庄駅近くの商店街通り

本庄城跡の稲荷神社の大ケヤキ

数字で見る中山道最大の宿場町・本庄宿

コリント式列柱がある旧本庄警察署「旧本庄警察署」

金鑽(かなさな)神社のクスノキの巨木

上里町の7世紀後半の浅間山古墳(円墳)

庚申塔は多くあるが、珍しい金色の自然石

織田軍(滝川一益)と北条氏直軍が戦った古戦場


7日目2015年5月27日(水)新町→倉賀野→高崎へ 22.5 km

わが国初の「歩け歩け運動発祥の地」碑

白壁や板張りが美しい国登録の川端家

かつて舟渡し場があった烏(からす)川

岩鼻代官所跡には短期間の岩鼻県庁があった

倉賀野の道標と常夜灯。左は日光例幣使街道へ

普通の板碑より厚みのある安楽寺の異形板碑

国史跡・全長170mの前方後円墳の浅間山古墳

慶長3年(1598)築城の高崎城の乾やぐら「高崎城の乾やぐら」

巨大なコントラバスは?答え:電話ボックス

高崎城に幽閉された徳川忠長(幼名国松)の墓


8日目2015年5月28日(木)高崎→板鼻→安中へ 25.8 km

群馬県で唯一現存のエノキがある藤塚一里塚

初めて発見。寛政14年(1792)の双体道祖神

皇女和宮が一夜を過ごした旧本陣書院

水田や宿場用水に使用した板鼻堰用水路

落雷で傾いた樹齢千年の熊野神社の大ケヤキ

新島襄によって設立された群馬県初の安中教会

復元した安中藩の郡奉行役宅の玄関で

旧安中藩の武家(中位の身分)の4軒長屋「武家の4軒長屋」

同志社大学を創立した新島襄旧宅

幕末に700本余あった安中原市の杉並木はいま


9日目2015年6月1日(月)安中→松井田→坂本へ 18.5 km

どっしりした明和9年(1772)建立の道祖神

講で造った妙義神社への道標と常夜灯

群馬県を代表する奇岩の多い妙義山「奇岩の妙義山」

宿場の面影がない静かな松井田の通り

江戸時代初期の真っ赤な不動寺の仁王門

寺の守護神・開口の阿形(あぎょう)像

八幡宮前にある庚申塔や二十三夜塔

大名などの休憩所になった五料の茶屋本陣

いまも生活している旧横川茶屋本陣武井家

復元された中山道の碓井関所東門


10日目2015年6月10日(水)坂本→軽井沢へ 23.5 km

絵図によると道路幅8間と広かった坂本宿

宿場の面影を残す「かぎや」と記した屋根看板

坂本宿をすぎると旧中山道の碓氷峠への道

大石を押しのけてたくましく生える木に感動

はるか眼下にみえる坂本宿の町並み

「ヨイショ、ヨイショ」と碓氷峠の坂を上る

小さな沢を渡ると狭いクマザサの道へ

碓氷峠の頂上(960m)は群馬県と長野県の県境

室町時代中期の素朴な熊野神社のこま犬「素朴なこま犬」

教会裏には最初の別荘(ショウハウス記念館)


11日目2015年6月11日(木)軽井沢→沓掛→追分→小田井へ 16.2 km

軽井沢の近衛文麿の別荘だった市村記念館

沓掛宿の標柱。いまや宿場の面影はない

江戸から39里目の追分の一里塚

寛政6年(1794)建立の高さ3mの馬頭観音

追分宿の高札場。現物は郷土資料館に保存展示

追分枡形の史跡「茶屋つがるや」の建物

左は京都・右は北国街道を示す分けされ道標

敷地に「ミニ中山道69次」の道がある資料館「中山道69次資料館」

稲作用に融雪水の水温を上げる農業用水路

改修以前に構築の畑に残された御代田一里塚


12日目2015年6月17日(水)小田井→岩村田→塩名田→八幡→望月へ 23.8 km

軽井沢―篠ノ井間(65km)を走るしなの鉄道線

宝珠院のみごとなアカマツの枝張り

日本橋から160kmの小田井宿の問屋跡

太いたんこぶがある住吉神社の大ケヤキ「こぶがある大ケヤキ」

リンゴ畑でみたまだ小さな実のリンゴ

十九夜念仏を唱和して出産などの無事を祈念

静かな塩名田宿(佐久市)の町並み

門の両脇に剣と矢をもつ武官をおく八幡神社

宮廷貴族風の男女が酒を酌み交わす道祖神

瓜生坂を下ると沢山の馬頭観音などの石仏群


13日目2015年6月18日(木)望月→芦田→長久保へ 15.2 km

明和3年(1765)建築の国登録の真山家(大和屋)

江戸時代の面影が残る茂田井の民家と造り酒屋

慶応4年の「攘夷禁止の高札」(大澤酒造民俗資料館)

石割坂から望月宿を振り返る

芦田宿がある人口8千人弱の立科町役場

芦田宿の本陣土屋家の門。「上段の間」などが残る

200余年前から営業の金丸土屋旅館

中山道の名所のひとつ笠取峠の松並木「笠取峠の松並木」

笠取峠を下るとやがて長久保宿へ

江戸時代からの町屋建築の竹内家(かまなり屋)


14日目2015年7月7日(火)長久保→和田へ 14.6 km

雨模様の長久保から和田宿への道

長和町巡回バスの風情ある茅葺屋根のバス停「茅葺屋根のバス停」

寛政10年(1798)造立の「いぼ地蔵さん」

「ミミズの碑」発見。ミミズの糞は新鮮な土に

諸国遍歴の僧侶に三千人も接待した記念の石碑

国史跡の旅籠かわちや。いまは歴史の道資料館

出梁造りという二階が張り出した構造のかわちや

簡単なカゴから立派な籠まで展示の和田宿本陣

江戸時代からつづく商家。「本うだつ」がある

中にはベンチもある農家風の大出バス停


15日目2015年7月8日(水)和田→下諏訪へ 26.5 km

一部路線変更で山中に残された唐沢一里塚

ときには沢の水の音を聞きながら坂を上る

旅人の難儀を助けた和田峠の接待茶屋

避難小屋の近くにあった短い石畳の道

冷気漂う標高1500m余の和田峠の頂上付近

生まれて初めて「クマよけ鈴」つけて歩く

雨の中、ついに道なき道ですってんころり「峠の道なき道」

西餅屋茶屋跡から国道142号をひたすら歩く

水戸天狗党と幕府軍が戦った「浪人塚」の案内板

夕方やっと諏訪大社下社春宮に到着

胴部に万治3年(1660)の銘がある万治の石仏


16日目2015年7月9日(木)下諏訪→塩尻へ 21.5 km

公家や大名が泊まった下諏訪宿の本陣

出しばり造りと格子のある脇本陣「まるや」

重そうな大しめ縄がある下社秋宮の神楽殿「大しめ縄の神楽殿」

雨の中かぶってみたい木曽ヒノキ笠とみの

旧中山道を忠実に歩くとこんな通路もある

塩尻峠を控えた広い屋敷の今井茶屋本陣

標高千m余の展望台からみる諏訪湖

柿沢地区の雨に映える美しい生垣通り

「お女郎道祖神」とも呼ばれる抱擁像

国重文指定の江戸末期の旅籠屋・小野家


17日目2015年7月19日(日)塩尻→洗馬→本山→贄川へ 21.3 km

両塚には立派な松がある平出一里塚

たわわなブドウ。道脇にはブドウ園がつづく

縄文から平安時代にかけての国史跡の平出遺跡

発掘調査の結果、住居などの発見が多くあった

中山道(右)と善光寺への分岐点の案内板

路傍にならぶ本山宿石仏群(庚申塔・地蔵尊など)

はすかいに建てられている間口の広い上級旅籠「はすかいの旅籠屋」

米、塩、女など通行改めが行われた口留番所跡

「是より南 木曽路」の碑。尾張藩領の北境

宿場風の無人駅・贄川(にえかわ)駅


18日目2015年7月20日(月)贄川→奈良井→藪原へ 20.5 km

女改めなどを役割とした贄川関所(口留番所)

樹齢千年の贄川のみごとなトチの巨木

江戸時代の面影をのこす奈良井宿の町並み

脇本陣・下問屋を務めた旅籠・伊勢屋「旅籠・伊勢屋」

木曽路の難所・鳥居峠(標高1197m)の坂道

鳥居峠には何カ所かの木橋がかかっている

元気よく坂を下りてきた豪州の若いカップル

鳥居峠では「クマ除け鐘」をみかけた

霊峰御嶽を仰ぎみる御嶽遥拝所(神社)がある

藪原宿(木祖村)の伝統工芸品「お六櫛」問屋


19日目2015年7月21日((火)藪原→宮ノ越→福島へ 19.2 km

お世話になった奈良井の旅館前で

朝日に照らされた奈良井宿の町並み

藪原駅から何キロも木曽川沿いに歩く

細い道を下りて鉄網の狭い橋を渡る

橋を渡るとコスモスが咲き乱れていた

曾祖父百年忌に経塚を建立した山村良忠

木曽の代官山村氏が代々守備した福島関所「福島関所」

展示室には鉄砲手形、女手形など多くを展示

島崎藤村に関する史料もある高瀬資料館

漢方薬に使った熊の毛皮もあった高瀬家土蔵


20日目2015年8月3日(月)福島→上松へ 14.8 km

270年余木曽谷を支配した山村代官屋敷

木曽川沿いの「崖屋造り」の家並み

急な坂道を上がると古い町並みの「上の段」

90%が山林の木曽町。猛暑のため役場で洗面

御嶽山を仰ぐ御嶽遥拝所手前の静かな道

木曽川の赤い鉄橋を渡ると‥‥「木曽川の赤い鉄橋」

中山道の難所「木曽の桟(かけはし)」の説明板

国道の下には尾張藩が造った石積みの桟が残る

突然の雷、やがてドシャ降りの雨と風で待避

江戸時代の面影をのこす上松宿上町の町並み


21日目2015年8月4日(火)上松→須原へ 23.7 km

寛永元年(1624)創業の名物寿命そばの越前屋

木曽川の激流で浸食した史跡名勝「寝覚めの床」「寝覚めの床」

山道を下りると旧中山道は人家の庭に入る

夏草を踏みしめながら歩く中山道

木曽川にかかる木造の狭いつり橋「諸原橋」

神明神社の平べったい樹齢500年の夫婦杉

宿場の面影をのこす「水船の里」須原宿の町並み

通りに面した「水船」で子どもの靴を洗う女性

中学生が撮ってくれた旅人(当麻実)のアップ写真

慶長3年(1598)建立の定勝寺の二階建て庫裡


22日目2015年8月5日(水)須原→野尻→三留野へ 17.5 km

明覚寺の山門。寛永元年(1624)に再建された

天保時代の銘がある左手に十字架をもつ観音

野尻・下在郷一里塚近くの静かな街道

木曽川の読書(よみかき)ダムの取水口

狭い地下トンネルに入りJRと国道をくぐる

「南寝覚」の奇岩・巨岩の美しい景色「木曽川の奇岩」

昔は急直下の崖に「羅天の桟道」があった

巨岩がある三留野(みどの)への道

たびたび火災があった三留野。本陣跡の解説


23日目2015年8月11日(火)三留野→妻籠へ 7.4 km

町並み保存の中心地・妻籠宿への案内板

巴御前の伝説「袖ふり松」は、いま「水船」に

江戸から78里目の両塚をのこす上久保一里塚

三十数年前まで使用していた水車小屋

戦国時代の山城・妻籠城跡からみた景色

外国人観光客が多い妻籠。スペイン人と

妻籠宿本陣の休泊者数。3月~5月が多い

南木曽町博物館に展示の妻籠城合戦の模型

復元された妻籠宿本陣。島崎藤村の母の生家

昭和40年に「保存会」結成。いまの町並みに「妻籠宿の町並み」


24日目2015年8月12日(水)妻籠→馬籠→落合→中津川へ 21.7 km

うだつのある旧旅籠屋がつらなる大妻籠

17世紀後期の農家の形式を伝える藤原家住宅

中山道に唯一あるという黒牛の供養塔

江戸後期の一石茶屋。いまは無料休憩所「一石茶屋の建物」

懐かしい煙が漂う。イタリア人のLEONARDOと

標高800mの馬籠峠を越え、なだらかな坂道へ

幕末から大正時代にかけて馬籠は4回火災に

両塚をのこしている新茶屋の一里塚

与坂からはるかかなたに恵那山がみえる

大きなしだれ桜の下には庚申塔などの石仏群


25日目2015年8月13日(木)中津川→大井へ 16.3 km

元禄年間創業の栗きんとんの「すや」

旧旅籠の十八屋。水戸天狗党の遺品が残る

中津川宿の枡形。道が直角に曲がっている

男女別々の頭をもち、体は一体の珍しい道祖神

明暦3年(1657)造立の六地蔵石幢(せきどう)

和宮、明治天皇などが休憩した茄子川の篠原家

甚平坂公園にある広重の浮世絵「大井」の石彫

元禄から明治までの倒れた旅人60余基の墓石

安土桃山様式を伝える大井宿本陣門(県史跡)「大井宿の本陣門」

木橋だった大井橋は、いま中山道の歴史を偲ぶ


26日目2015年8月19日(水)大井→大湫へ 16.7 km

十三峠の標識からわずかにつづく石畳の坂

室町時代末期といわれる西行法師の五輪塔

一つ峠を越えると水田がつづく四ツ谷地区

「江戸へ89里・京へ45里」の紅坂一里塚

キリシタンと火付の「定」がある藤村高札場

大井と大湫の間には十以上の茶屋跡があった

開発されずに両塚がのこった権現山一里塚「権現山一里塚」

峠の山道を下ると阿波屋茶屋の跡がある

十三峠の道中安全を祈って三十三体の観音石窟

琵琶峠と十三峠に挟まれた大湫(おおくて)宿


27日目2015年8月28日(金)大湫→細久手→御嵩へ 24.0km

樹齢1300年、幹回り11mもある大湫の大杉「大湫の大杉」

「道中安全・病気全快」のご利益の観音堂

雨で濡れ、すべりやすい琵琶峠の石畳(約730m)

ほぼ完全にのこっている八瀬沢一里塚

自然の地形をうまく利用した奥之田一里塚

旧尾張藩定本陣の大黒屋。いまも旅館営業中

万が一なにか起きた時に便利な場所案内板

広重作品のモデルになった御嶽宿への木賃宿

この急坂は「牛の鼻欠け坂」といわれた

宿場の面影をのこす御嶽宿の通り


28日目2015年8月29日(土)御嶽→伏見→太田へ 22.5 km

鬼の首を切ったが重くて動かなかった「首塚」

60体近くの供養塔がある洞興寺の「女郎塚」

歩道がある太田橋。渡船は昭和2年まで使われた

太田の渡し場跡。木曽川の増水で舟止めもあった「太田の渡し場跡」

まずポルトガル語。ブラジル人が多い美濃加茂市

町屋建築の吉田家住宅(旧旅籠小松屋)

旧小松屋の内部。明治以降何回か改造された

宿場のふんいきがのこる太田宿の町並み

「うだつ」がめだつ旧脇本陣の林家住宅

木曽川の土手(ロマンチック街道)を歩く


29日目2015年8月30日(日)太田→鵜沼へ 18.3 km

雨の中、橋を渡り草道を通って岩屋観音堂へ

高台からみた広い川幅の木曽川

岩窟内には観音菩薩などが安置されている

やっとみつけた「うとう峠」へのトンネル

あふれそうな通路。流されると木曽川へ

木曽川へ激しく流れる沢脇の階段を上る「激しく流れる水」

狭い木橋を渡って「うとう峠」の道へ

日本橋から100里目のうとう峠一里塚

ちょっと寄り道して国宝犬山城の天守へ

鵜沼宿になぜか旧大垣城の鉄門があった


30日目2015年9月15日(火)鵜沼→加納へ 19.2 km

各務原市にある航空機製造の川崎重工業

飛行場の歴史をデザインした歩道のタイル

日吉神社の拝殿前には二体のカエルがいる

鵜沼宿と加納宿の中間には間(あい)の宿新加納

「君が代」のさざれ石。石灰石が雨水に溶解

他藩に移っても飛び地を領有した切通陣屋跡

復元された105里目の細畑一里塚

延命地蔵堂脇の伊勢道追分の道標

江戸時代の相撲力士「鏡岩」(ぶたれ坊)の碑

近世初頭の野面積みの加納城跡本丸の石垣「加納城跡の石垣」


31日目2015年9月16日(水)加納→河渡→美江寺→赤坂へ 24.5 km

河渡橋からみた木曽三川のひとつ長良川

馬頭観音隣の河渡宿の大きなモニュメント

本田地蔵堂。旅人はここで安全祈願をした

五六川近くのヒガンバナに舞う蝶の群れ

美江神社境内には復元された高札場がある

用水路とガードレールに挟まれた大垣藩傍示石

かつては松並木があったが、いまは全くなし

「呂久の渡し」の船年寄りを務めた馬場家

石灰などの運搬に使われた杭瀬川の赤坂湊跡

江戸末期の大型町屋・矢橋家住宅(国登録)「大型町屋・矢橋家」


32日目2015年9月17日(木)赤坂→垂井→関ケ原へ 18.5 km

宿役人が大名などをお出迎え。宿の東西にある

4世紀の昼飯大塚古墳の後円部から前方部をみる

安永6年(1777)築の旅籠亀丸屋。いまも営業中

垂井の泉と最近倒木した樹齢800年の大ケヤキ「倒木した大ケヤキ」

幕末に建てられた旧旅籠(国登録・小林家住宅)

垂井一里塚。中山道では国史跡はここと志村だけ

旧中山道では珍しい関ケ原町の松並木

山に雲がたれこめている。建物は関ケ原町役場

首実検された塚跡、首洗いの古井戸もある

家康が関ケ原で最後の陣頭指揮をとった陣地


33日目2015年9月18日(金)関ケ原→今須→柏原→醒井へ 19.3 km

樹齢800年余の大杉。東軍の福島正則陣跡でもある

東山道不破関(672~789)後の関守の屋敷跡

小早川の裏切りで自刃した西軍の大谷吉嗣陣跡

縁起物の永楽通宝の軒丸瓦がある山崎家(問屋場)

美濃と近江の国境。「寝物語の里」の碑がある

このような朱色のベンガラ塗りの家が多い「ベンガラ塗りの家」

寛文元年(1661)創業の「もぐさや」亀屋左京商店

屋号札をかかげ宿場の面影をのこす柏原宿通り

朱色のベンガラ塗りの家が多い醒井(さめがい)

醒井の小川には「ハリヨ」(淡水魚)が生息


34日目2015年9月28日(月)醒井→番場→鳥居本→高宮へ 18.7 km

1915年建築のモダンな旧醒井郵便局(醒井宿資料館)

旅の途中で亡くなった人の供養塔。一類孤魂等衆の碑

用水路が流れる番場への静かな町並み

どこの国旗?初めてみた蓮華時のあざやかな仏旗「蓮華寺の仏旗」

蓮華時の門。14世紀天皇から寺紋は菊の紋になる

北朝の北条仲時ほか430余名が蓮華寺で自害した

境内にある樹齢700年余の一向杉(樹高30m)

摺針峠の望湖堂(茶屋)跡からみた景色

万治元年(1658)創業の「赤玉神教丸有川家」の建物

屋根の上に看板を掲げている旧合羽所「松屋」


35日目2015年9月29日(火)高宮→愛知川→武佐へ 25.3 km

多賀大社の石造の大鳥居と階段つきの常夜灯

宿場の面影をのこす朝の高宮宿の通り

阿自岐(あじき)神社の庭園。池には大小の島

文政2年(1819)建立の阿自岐神社本殿

近江商人の伊藤忠兵衛旧宅の店の間

幕末に蝦夷地に渡り漁場で財をなした藤野家

五個荘地区にある京町屋風商家造りの市田家

美しい茅葺(かやぶき)屋根の民家が数軒みられた「茅葺屋根の民家」

近江商人発祥の地「てんびんの里」の像

天正9年再建の奥石(おいそ)神社の優美な本殿


36日目2015年9月30日(水)武佐→守山へ 22.5 km

武佐宿の景観づくりに一役の書状集箱(郵便ポスト)

日野川(横関川)の舟渡し場跡。広重の絵にでてくる

中山道の土手斜面の真っ赤なヒガンバナ「土手のヒガンバナ」

武佐と守山間には間(あい)の宿の「鏡宿」があった

室町中期の鏡神社本殿。この地で源義経は元服した

わびしい平宗盛・清宗の胴塚がある平家終焉の地

6世紀前半の甲山古墳(円墳)では石棺がみられる

慶長元年(1596)創業の暁酒造の茅葺屋根の建物

鎌倉時代の石仏。右側は幼児の「背くらべ地蔵」

守山宿の街道文化交流館前で旅人の記念写真


37日目2015年10月14日(水)守山→草津→大津へ 18.2 km

朝鮮通信使の宿にもなった守山宿の東門院

境内にある鎌倉時代の石造五重塔。左は石造宝塔

天保年間の茶屋を新しく誕生させた「門前茶屋」

滋賀県では唯一現存する128里目の今宿一里塚

これは便利。ちょっと寄ってみようとなる道案内

応仁2年(1468)建立の一間社のいささ神社本殿

追分道標「左中仙道美のぢ」「右東海道いせみち」

追分道標近くにある草津宿本陣(国史跡)

江戸城築城の太田道灌を先祖にもつ太田酒造

野路の遠藤家にある平清宗の胴塚という石塔「平清宗の胴塚」


38日目2015年10月15日(木)大津→三条大橋へ 22.7 km

石山寺の本堂(国宝)。本堂は永長元年(1096)に再建「石山寺の本堂」

本堂で『源氏物語』の構想を練る十二単の紫式部

石山寺の多宝塔(国宝)。上下二層の美しい塔

ヨシを使った滋賀県唯一のすだれ屋さん

三井寺の展望台から眼下の琵琶湖を眺める

三井寺から小関越えへの倒木もある狭い道

裏道を通ってやっと「峠の地蔵」にたどりつく

かつて見た「三井寺観音道」「小関越」の道標

京都御所にむかって拝礼する高山彦三郎の像

三条大橋にゴール。歩数計は787kmになった



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